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森知宏
ツギキ×森果樹園(代表/デザイン/農家見習)
1984年 淡路島うまれ。岡山県立大学デザイン学部にてプロダクトデザインを学んだ後、
生活用品メーカーで商品企画、原価計算、仕様設計など、一連のものづくり業務に携わる。その後 淡路島にもどりデザイン業務を開始。商品デザインを中心に地場産業に関与。2016年から屋号を「ツギキ」に定め、デザイン業務を行いながら、家業である果樹園の継承にむけて活動中。その年の4月からパーラーをオープン。季節のフレッシュジュースやアイスクリームなどを提供する。また加工品や淡路島の伝統産業を活かした商品の企画/販売も行う。
森晶子
ツギキ×森果樹園(窓口/企画/農家見習)
1982年滋賀生まれ。大阪工業大学工学部建築学科卒業後、設計事務所に勤務。住宅からマンション、病院、特別養護老人ホームなど担当。一級建築士。2012年春、厚生労働省の委託事業である淡路はたらくカタチ研究島で働くため淡路島へ移住。研修を2年、ツアーと商品開発を2年、現場担当として計4年間勤める。淡路島民と結婚、祖父と三人暮らし。2016年から、だんなと共に「ツギキ」として活動。
ツギキ×森果樹園
兵庫県洲本市中川原町中川原1495
1,ふたりは農業1年生
「農業のことはまだ全然詳しくないんですよ。じいさんがやっているだけで、引き継ぐと決めたのが今年の1月。それまではほとんど農業やったこともなくて、じいさんのやるのを見て習ってる、本当に見習い状態なので。」
森知宏さんは淡路島に生まれ、大学でデザインを学んだ。島外の企業で勤務したのち、帰郷し独立。これまでに北坂養鶏場をはじめ、島内企業の商品開発やグラフィックデザインを手がけてきた。奥さんの晶子さんは滋賀県出身。淡路島に来たのは「淡路はたらくカタチ研究島※」の事務局にならないかと声がかかったことがきっかけ。子供のころから何の迷いもなく進んできた建築の仕事をいったん外から眺めてみようと思った。4年間にわたって様々なプロジェクトを推進してきたが、その研究会の場がふたりの出会いとなった。結婚し、知宏さんの祖父の暮らすこの家に引っ越してきたのは2年前のこと。「住み始めたときから、継ぐんだろうなとは思ってました。」そしてこの春、ふたりは、知宏さんの祖父がひとりで営んできた果樹農家を継ぐことを決めた。江戸時代から1代飛びで続いてきた森家の果樹園。育てているのは、桃に温州みかん、そしてナルトオレンジだ。
※厚生労働省委託による淡路地域雇用創造推進協議会のプロジェクト名。淡路島で仕事を探す人や事業者を対象に、島の豊かな地域資源を活かした家業・生業(なりわい)レベルの起業、事業の立ち上げをサポートするために、ワークショップを含めた講座の開催、ツアーや商品の開発などを行ってきた。2016年春に終了。その4年間のプロセスは、学芸出版社「地域×クリエイティブ×仕事:淡路島発 ローカルをデザインする」に詳しい。
2.長屋門とアニキの心配
淡路島の農家らしい立派な長屋門。中に入ると現代的な空間が広がる。コンクリートの床、清潔な左官の白灰壁と天井のカフェスペース兼事務所は晶子さんが設計した。知宏さんがこれまでにデザインを手がけた商品のショップも併設されていて、セレクトショップのようでもある。果樹農家を活かして季節の旬のジュースやデザートを提供するパーラーカフェとしてのオープンは、今のところ金曜と土曜のみ。PRもほとんどしていない。「飲食をきっかけに、ここに来て僕たちの仕事を知ってほしい。それからデザインのご相談にこられたお客さんと話ができたら」と知宏さん。白桃のジェラートを運んできてくれた晶子さんが言う。「(知宏さんは)よく働いているなーと思う。朝がめっちゃ早い。帰ってきてから朝ごはん食べるから。」初夏の桃の収穫期は朝6時に収穫に出て、夜の2時ころまで選別や梱包作業に追われるのだという。農作業を見習うだけでなく、経理や運営の引き継ぎ、そして高齢の祖父ひとりでは手が回らなくなっていた整備作業や資材の整理など、仕事は山のようにある。農業1年目の今年、デザイン仕事の割合は10〜20%くらい。「正直、思っていた通りではないです。だって90歳のおじいさんひとりでやっていたんですよ。両手で杖もって歩いてるじいさんやし、僕ら若いもんならほいほいやれると思っていたから。今年は1年目で、このリノベーションとジュースも開発したり、カフェも始めて、初年度にちょっといろいろやりすぎて(笑)・・・整ったらだいぶ楽になると思うんですけどね。」そんな話をうかがいながら、ふたりをよく知る平松さんは兄弟のことのように心底心配な様子。「聞く限り大変そう。もし自分だったら絶対、継ぐとは思えへんのよ。1代飛ばしルールやから、とかじゃなくて、何か魅力があったんよね?」
3,ナルトオレンジ
「一番大きいのはナルトオレンジですね。みかん、桃だけやったら継いでなかったかもしれません。」ナルトオレンジは、300年前に淡路島で発見された島固有の果実だ。種としての希少性や伝統文化として価値があると言われながら、実際のところ現在の生産者は10人ほどだという。「平均年齢80歳、これで僕がうまく引き継げなかったら、もしかしたら数年でなくなっちゃうかもしれないんです。」デザイナーの森さんがそんなナルトオレンジに出会ったのは、一つの仕事がきっかけだった。「島のおもひで」というおまんじゅうのパッケージデザイン。お客さんの思いに心を動かされたのだという。「『ずっと昔、ナルトオレンジがいっぱい育てられていて、春になったらあちこちからよい香りがして・・そんな島の風景を思い出したい』と。うわー、なんて素敵なこと言うんやろ、この人と思ったんです。それで、じゃあおまんじゅうが美味しいだけじゃなくて、農家さんまで紹介できるようなものがいいんじゃないかということで、農家さんを探したら、5人くらいには会えます、と。」その中に、なんと自分のおじいちゃんの名前があった。
幼い頃、訪れるのは盆と正月くらいだったという祖父の家。農家をやっているとしか、育てているのはフルーツだということも知らなかった。春になれば、家の前の木蓮がすごく綺麗に咲くことも。
ナルトオレンジの話を聞きに来たことをきっかけに、知宏さんの中に一つの思いが大きくなってゆく。「デザインって、メーカーに勤めていたころは自分ごと、自分の会社の商品開発でした。独立してからのデザイナーとしての自分の立場は、もちろん自分のことのようにアプローチしたとしても先方の思いが一番ですから、最後は他人のものなんです。もちろんそれはそれでよいんだけれども、自分の中から変えたいという思いがどこかにあった。でも、ずっと外からさわるということをやってきた自分にとっては根っこというものがなかった。それで、ナルトオレンジはもしかしたら自分が根っこになれる存在かもしれないなと思ったんです。」
4,毎日「暮らし」会議
何よりもこの場所を残したかったという晶子さんも、農業という分野を異質なものだとは捉えていないようだ。「私も、建築やっている感覚とあまりかわらないですね。建築、デザインもそうやと思うけど、たとえば住宅ならそこに住む人が1日どういう動き方するかを考える。自分たちの生活も同じで、農業ってそもそも暮らしと渾然一体じゃないですか。雨降ったら休むとか、最初えーって思ったけど。だから結局、暮らし方なんやと思う。それをどうするかっていう会議を毎日やっています、私たち。」
知宏さんもうなずく。どんな風に暮らしたい。どんな人に会いたい。どうせなら稼ぎたい・・・そんな日々のさまざまな思いを一体のものとして暮らしを構築してゆく。その中に農業がある。「ちゃんと机につくのは月1、2回。あとは移動中だったりしますけど、普段の話題と同じくらい会議も楽しいんですよ。話すことはつきません。」「最近は、もうからへんな〜、もうかる方法考えよう、って(笑)」うれしい事も大変なことも同じように楽しむような、ふたりの口ぶりが印象的だった。
「そうそう、うちの集落には“圃場整備”っていう道づくりの共同作業が残っているんです。集落のみんなで集まって、舗装されていない道の草木を刈って自分達で保全するんです。そんなこと自分達でせなあかんのや!って最初はびっくりしたんですけど、よく考えれば都会でも、そこに住んでいる知らない誰かがしてくれてたことなんですよね。そう思ったら、それだけの違いというか、自分達で自分達の生きる場所をつくるというか、みんなで暮らしているんやなって思うようになりましたね。」
5,「ツギキ」という方法
果樹は「接ぎ木」という方法でつくられる。
たとえばみかんなら、まったく違う種類の台木に、みかんの木の枝をさしてくっつける。そうすることで、長く樹木の成長を待たず健康に美味しい実を育てることができる。森夫妻は自分たちが引き継いだ農園の名前に、その「ツギキ」という言葉をつかった。「まず、名前の響きがいいと思って。つぐ、というのはいろんな意味で、じいさんから継ぐというのもあるし、デザインと農業とか、異色のものをつなぎ合わせるということもある。果樹そのものもそうやって生きているし・・・」「ゼロからじゃない、っていうことじゃない?」と晶子さん。そうか。暮らしも、家族も、ゼロからじゃない。
これからの目標をうかがうと「販路開拓」という言葉が返ってきた。今年開発した「ジュウース」を、今後は様子を見ながら量を増やし広げてゆきたいとのこと。しかし、理由はそれだけではない。「1月に、ご高齢のナルトオレンジ農家さんが相談に来られたんです。販売先の話を全部まとめていた奥さんが亡くなってしまって、『森さんところ、どうしてますか』って言って。取引先を紹介できたとしても、80歳のおじいさんに今からメールや請求書を書いてもらうのは難しい。」販路をちゃんと整えられれば、高齢の農家さんの産品を買い取って、販売を代行できる。今後も同じように必要とされるようであれば力になりたい、そんな役割も引き受けられるといい。「さらにですよ、それでナルトが売れるということが分かったら、作る人も増えてくれると思うんですよ。そういう状況まで広げてゆきたい。ナルトは剪定とか収穫とか比較的のんびりできるので。僕の世代じゃなくても、たとえば50歳くらいから定年にむけて植えはじめて、60歳の方がつくってくれるでも・・・なんせ平均80歳の中では、十分な若手です。」
果樹の作り手だけでなく、果樹栽培になくてはならない接ぎ木の技術者も高齢だ。ゆくゆくは接ぎ木から自分で作りたいと、すでに接ぎ木にも実験的に取り組んでいる。
そんなお話をうかがいながらふと、森さんご夫婦は今、自分たちの暮らしだけでなく、地域そしてナルトオレンジの未来をデザインしているのかもしれないと思った。未来というと、ちょっと大げさかもしれないけれど。
果樹栽培と同じように、暮らしも、家族も、ゼロからじゃない。
人と人が接がれ、継がれ、1日1日を送ってゆく。
10月、森家には初めての男の子が誕生する予定だ。
「1代飛びやから、絶対継いでくれませんけどね〜」と、晶子さんが笑った。